こんにちは。岸本みずきです。

「私って変じゃない?変な目で見られてるかも、、、。」
隣の人がどこを見ているか目の端っこでこっそりチェック。

少し温かい日、服の選択に迷いながら「厚手のコートを着たけど私浮いてない?」
厚手のコートを着てる人を見つけてホッとする。
あるいは薄着の人を見て「やっぱり薄手にしたらよかった」と顔に縦線入るくらい後悔したり。

私は出掛けると、どこに行っても周りの目が気になってました。
「私大丈夫?変な目で見られてない?」
今は昔ほど神経質に考えることはなくなりましたが、たまに気になることもあります。

 

そんなことを考えているとふと、昔読んだマンガを思い出しました。
今でも大好きな槇村さとるの「NYバード」のワンシーン。
(あれ?「ダンシングゼネレーション」だったっけ?)
ダンスが大好きでどんどん実力をつけていく主人公の萩原愛子。
あるとき自分の踊りがワンテンポ遅いことに気づきます。

原因は舞台で一緒に踊っている女性の踊りを常に目の端で確認しながら踊っていたこと。
実力は十分ついているのに自分の踊りに自信がなくて、決めのポーズのところで間違っていないか相手の踊りをチラ見。
そのせいでワンテンポ遅れてしまう。

自分のクセにやっと気づいた愛子(話をずーっと進ませて)
その後、自分の力を信じたことで愛子は自分の持つ実力と魅力を最大限に活かして素晴らしい演技をみせる。

 

すみません、大好きなマンガだったので熱く語ってしまいました。
話を元に戻します。

 

私は自分と人を比べるとき「相手の方が正しい」「相手の方が凄い」と勝手に決め付けていました。
相手が間違ってることもあるし、自分の実力の方が相手よりも勝っている可能性もあるはず。
なのにいつも自分の方が間違っている、もしくは劣っていると思い込んでいるんです。

 

たとえば今日は寒いか温かいか、体感温度は人それぞれ。
自分が寒さに弱かったら多少暖かい日でも厚手のコートは手放せない。
それを見て周りの人は「こんなに暖かい日なのにまだ分厚いコート着てるっておかしな人!」とは思いません。
そもそも人は他人のことにさほど興味がないので、見られてるように感じてても実際はあまり見られていない。

もし自分が反対の立場だったらどうでしょう。
暖かい日に厚手のコートを着た人を見ても(自分は薄手のコートを着用)「寒がりなんやろな」とは思っても「変な人」とは思いませんよね。

頭ではわかってても人から変な目で見られたらどうしようといつもあたふたしてしまう。

そんなとき「寒いの嫌いやから厚手のコート着るんや」「暑かったら脱いだらええやん」と言われたことがあります。
当たり前のことだけど妙に説得力があって、そのときとても腑に落ちました。
たしかに自分の体感温度まで周りに合わせる必要もない。
(オシャレに気を使う人なら多少寒くても、我慢して春物を着るんでしょうね)

 

自分の感覚と他人の感覚は違います。
誰が正しくて、誰が間違っているのか、比べられない。
冷静に考えるとごくごく普通のお話。

でも自分に自信がないと、、、自分が感じた感覚を引っ込めて他人に合わせてしまいがち。
私はこんなことを繰り返していました。

 

永久ループ
自分をしょげさせる永久ループ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こんな状態イヤですよね。この永久ループから脱出する方法は、

自分と周りを同じ土俵に乗せない

 

ということです。
生まれた環境も個性も体質も人それぞれ。

・背が高い人もいれば、背が低い人もいる。
・同じものを見ても笑う人もいれば、怒る人もいる。
・ロックを聴いてノリノリな人もいれば、ウルサイ雑音と感じる人もいる。

そもそも違うものを同じ土俵に乗せても正しく比べることはできません。
自分は自分、人は人。
俯瞰して(高いところにいるもう1人の自分から見た自分)ものごとを考えてみる。
どこかへ出掛けたり人と会うときは、自分と周りを線引きするイメージをしてみる。
最初は少しコツがいるかもしれませんが、きっと自分はダメだと一速飛びに思うことが減ってくると思います。
地道だけど「自分が嫌い」を克服するために

俯瞰する

のはとても有効的な方法です。