高齢だからそんなに老い先長くない、わかっていたはずなのに実際母が亡くなると頭では理解できないものです。しかも母の姿が以前に比べてすっかり変わっているとなおさらのこと。

母を見た瞬間、目の前にいるのは本当に母なんだろうか。もしかして部屋をまちがえた?

それくらい母はすっかり変わっていました。私の記憶に残っている毒々しい雰囲気はまったくなく、そこには痩せた老人が静かに眠っているだけ。

自分の母が亡くなったのにぴんとこないなんて。普通おかしいですよね。だから母に向かって話しかけてみたんです。そうすれば実感がわいてくるだろうと思って。

だけど何も変わりませんでした。ただ時間が過ぎていくだけで涙さえ出てこない。

たしかおばあちゃんのときはもっと悲しかった記憶があります。棺の中のおばあちゃんに話しかけたときも現実味があって、悲しみもいっぱいあって。そう思うと母に対して冷めていたのかもしれません。

 

葬儀が終わったあと。じわじわと罪悪感と哀しみがやってきました。

「施設へはほとんど行かず、ほったらかしにしてた」

「寝たきりで年老いた母なのに、わざと見ないようにしてた」

「これで独りぼっちになった(離婚した父は15年ほど前に他界、私は1人っ子)」

母が亡くなってこんなにショックだったとは、、、意外でした。

本当はこんなときこそ以前取得した英国のバッチフラワーレメディの出番なんですが、どうしても使う気になれなくて。気力がなくなって沈んでいるんだけど、今は哀しみに浸ったまま抜け出したくない。悲劇のヒロインに浸ることで「私は冷血じゃない」と言い聞かせているのかもしれません。

結局レメディは最後まで使いませんでした。
英国認定プラクティショナーなのにダメダメプラクティショナーですね。

後になって冷静に考えると哀しみと共存することで少しでも母を身近に感じたかったのかな、と。
こういう哀しみ方、乗り越え方もありかな、と思います。

気持ちが少し落ち着いてから

「亡くなるのを1日待ってくれてありがとう」

母に1つお礼を言いました。
待ってくれたから楽しみにしていた休日を満喫できたんですから。