こんにちは。岸本みずきです。

8月16日は、五山の送り火です。
京都をぐるりと囲む5つの山に「大文字」「左大文字」「船形」「鳥居型」「妙法」の形に火をともし、
お盆に帰ってきた先祖の魂を供養した後、再びあの世へ送り出すというもの。

大文字焼き、と言う人がいてはりますが、正しくは『五山の送り火』
どこで仕入れた情報なのか、知識なのかわかりませんが、テレビやラジオで解説してる人が大文字焼き
というのを聞くとちょっとガッカリしてしまいます。

その道のプロなのに間違った使い方だったり、内容をちゃんと確かめずに突っ走ったり、
「たぶん、○○だと思うよ」と勝手な解釈をして、あいまいな言い方でお茶を濁したり。

以前、そういう言い方をしていた時がありました。
自分の言ったことに自信がない、というものあったし
具体的に言わないほうが、好まれるというのもあって。

実際、周りの人たちもそういう表現をする人が多かったし、それが普通と思ってました。
でもいつの頃からか、違和感を感じるようになったんですよね。

「それはきっとこういう意味だと思うよ」
「それはこれまで頑張ってきたことに対するご褒美だよ」
「ありのままのあなたでいいのよ」

わかるようで、わかりにくい表現。
的を得たことを話してるように聞こえるけど、実は語尾をごまかして相手に解釈をゆだねてるだけ。

「あなたの好きなように解釈してください、それが真実ですから」

もちろん、間違っていません。
相手もそれを望んでるかもしれない。
でも「それって本当に相手に対して誠実?」って思うことがあります。
語尾をごまかして、もし想定外のなりゆきになってもそれは相手の責任。
あとで困るのも相手だけ。

それがなんとなくズルをしてるように思えて、実際「ズルイな、この人」と思うこともあったので、
使わないように意識するようになりました。
もちろん、つい口からポンとでてしまうこともある。
完ぺきは難しい、でもなるべく具体的に伝えるようにしています。

そして、これは他人への誤解を防ぐことにもなります。
なんとなく言いにくくて、ハッキリ言わなかったことが原因で誤解を招いたとか。
そういう、ちょっとした行き違いを避けるためにも「○○と思うよ」は避けたい。

といっても、ハッキリ言えないときや事柄もあります。
逆にハッキリ言って、敬遠された失敗談もある。
ま、最終的には受け取る人の好みの問題なのかもしれません。
いずれにしても、なるべく曖昧にならないように自分の思いを押し付けないように、
そして、相手に対して誠実でいたいです。