「私も年だから、最後に娘に会っておきたい」
今年の夏、後見人をお願いしている方から久々にメールが届きました。
先日施設へ行った際に、こんなことをおっしゃってました、と。
さんざんひどい目に遭わされてきたのに、時間が経てば母親をほったらかしにしてることに多かれ少なかれ罪悪感を感じてしまうんですよね。
何年経っても、この手の感情はなくならない。
親の面倒を見るのが当たり前とか、親を大事にしなければバチが当たる、とか。
幼少期から母親の思い通りに行動するように仕込まれてきたんですから仕方ありません。
なんだか洗脳みたいですね。
話は元に戻って、
さんざん迷った結果、暑さが和らいでから会いに行くことに決めました。
そして先日、後見人と方と一緒に施設へ。
久々に会う母親。
年老いてかなり痩せていたものの、前回会ったときよりも落ち着いて元気そうに見えました。
去年施設を変わったことが良かったのかもしれません。
でも、黙って話を聞いてるとどんどん自分の思い通りにしようとしてきます。
ずっとここにいるからどこかに行きたい!とか、
最後に会っておきたい、と言ってたはずなのに、次はいつ来てくれるの?とか。
体は老いても、頭も心も口も変わらないですね。
あまり長居するときりがないので早々に引き上げることに。
そして後見人の方と今後のことについてお話。
・実家のこと(誰も住んでいないけど荷物はそのまま)
・実家にあるお仏壇のこと
・母親が亡くなった際のこと
気になりながらも実家や亡くなったときのことなど触れないように、考えないようにしてきましたが、ちょうどいい機会。
こんなことでもなければずっと先延ばしにしていたことでしょう。
あれこれ考えても仕方ないので、今の自分に出来る範囲で1つ1つ解決する。
以前なら出来ないことでもなんとかしようと自分を犠牲にしてやろうとしていたのですが、さすがに今はしません。
自分の人生を犠牲にしてまで母親の要望を聞くことは結果的にお互い不幸になりますから。
今回母親に会いに行き、実家の今後のことを具体的に考える良いきっかけになったな、と思います。
ただし、
母親が気になるからとか、
最近会ってないから気になって、
という理由で会いにいくのはあまりお勧めしません。
その後、数日間は余計な罪悪感が出てきてしまいますから。
(実際数日間そうでした)