3Jan

あけましておめでとうございます。
いつもブログに来てくださる方
検索して来てくださった方。
ひょっこり思い出して来てくださった方。
今年もよろしくお願いいたします。
元旦は家でダラダラ過ごし、
二日はお昼を過ぎてからのっそり動き、
三日はようやく朝からモソモソ動き出す。
こんなお正月を過ごしながら、そわそわしてる自分に気づく。
『私はお正月がニガテか?』
何もすることがなくて時間を持て余すより、何か忙しくしてるほうが落ち着く。
やることがあるほうが安心するというか、バタバタしてるほうが居心地がいい。
こんな人っているのかな。
それにこれまで勤めてた職場は忙しいところが多く、
1日の仕事が午前中で全部終わってしまうほどヒマな職場は3日で辞めました。
いつでもどこでも自分の役割が明確にないと、その場に居づらくてソワソワと落ち着かなくなるんですよね。
なんでだろ?
ちょっと考えてみました。
そういえば小さい頃からよく母親に「また何もせんとぼーっとしてるわ」とよく怒られていたっけ。
何も悪くなくても怒られる、小言をいつも聞かされる。
怒られる => わたしが悪いんだ! => 何もしていないと罪悪感を感じる
私にはこんな方程式があるのかもしれません。
ウソでもなんでもいい。
忙しく何かをやっていれば、母親から責められずに済む。
だからヒマよりも忙しいほうが落ち着くんでしょうね。
その場に母親がいなくても、すでに大人になっても小さい頃の習慣は根付いたまま。
こまった習慣です。
それともうひとつ。
クリスマスやお正月などのイベントの時期、なぜか母親の機嫌も下降気味。
(その理由はよくわかりませんがおそらく他人へのやっかみかな、と)
だから余計にこの時期はソワソワ、居心地が悪く感じるのかもしれません。
「それやったらお正月せーへんかったらええやん」
季節のイベントごとに普段から全く興味を示さないダンナさんのひとこと。
(誕生日もプレゼントはありません、、、え~っ?と驚いた方、私も最初そうでした)
たしかに。
時間を持て余すくらいなら、いつもの通常モードで過ごすほうが気がラク。
べつに世の中に合わせてお正月モードになる必要はない。
「よそはよそ、うちはうち」
「人は人、自分は自分」
これってわりといろんな場面で言えることだと思います。
P・S
今年もボチボチ書き綴っていこうと思っております。
私の体験がどなたかの役に立てればうれしいです。
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コメント
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こんにちは、再びコメントさせて頂きます。yucoです。
今年もブログ拝見させて頂いてます^^
私は年末年始の挨拶に行き、旦那の両親の前で自分のあら捜しをされました^^;
その時の母や父の顔が「義両親の前でいじめてやったぜ!」と言わんばかりに嬉々としていましたので、「ああ、私の結婚生活も壊したいんだな」と感じてしまいました。
色々振り返ってみて、恩着せがましいことを言いながら実際には張り合ってるだけというか、「幸せになんてさせてない」という悪意を持たれていた(いる)のでは…と感じているこの頃です。
両親には、自分の思い通りになる駒みたいな存在や、自分が優位に立つために踏みつぶすことの出来る存在がどうしても必要なようです。
育ての親にこんなこと言っては何ですけれど、自分だって掃除や家事において完璧なわけではないのに、なぜ子どもの事ばかり執拗に責めるのでしょうかね。
みずきさんが仰っている
【怒られる => わたしが悪いんだ! => 何もしていないと罪悪感を感じる】
という気持ちに共感してコメント打たせて頂いたのですが、自分のことになってしまってすみません。
少しずつでも、毒親の支配から離れていきたいものです。
yucoさま
あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。
旦那さまのご両親の前で、、、これはやめて欲しいですよね。
私はよく友だちや知人の前であらさがしをされました。「この場から消えたい・・・」と何度思ったことか。
うちの場合は母親は自分と同年代の人(親戚や旦那の両親、近所の人)の前では私を自分の自慢話のネタに使っていました。
ただ母親のとの関係性を絶ってからは周りに対して「私=悪い人間⇒幸せを潰してやる!」に変わっていきましたが、、、(汗)
どの場面でもよくあることですが、「悪者の存在」は必要です。
とくに毒親は自分は全く悪くないことを証明するために子を悪者にすることが多いのかな、と思います。
子を否定することで自分を肯定し、子が自発的に罪悪感を持つように仕向ける。
そんな毒親の負のスパイラルにはゼッタイに巻き込まれないように気をつけて下さいね。
いつもコメントありがとうございます。
「脱毒親!」に向かってがんばって下さいね。