こんにちは。岸本みずきです。
去年知り合った方から、
「誕生日の前の月は産みの苦しみでスッキリしない事が多いけど、誕生日の月は気分晴れやかになるみたい」
というお話を聞きました。
そのときは「へぇ~」と思ってたんですが、誕生日をはさんで前後4~5日の間に「あ、もしやこれは・・・」ということが。
たまたまそんな話を聞いていたから、かもしれません。
いつもならサッと流せることや些細なことが妙に引っかかって、誕生日が過ぎてから一気に濁流のように押し寄せてきました。
(あれ?誕生月の前の月ちがう?、、、わたし、おそいやんー。-;)
予測してなかったこと、過去の話と思っていたこと、今の自分には関係ないと思っていたこと。
これが目の前に、”どんっ!”と置かれると思考がホンマに止まります。
そして奈落の底へずんずん引きずられていくような、足元が崩れていくような、そんな感覚。
いくらメンタルケアの知識と経験があっても、自分のことは冷静に対処しにくい。
悲劇のヒロインを演じる「自己憐憫」と、誰かのせいにして問題から逃れる「自己防衛」の追いかけっこが続く。
「でもここをこらえたら、踏ん張れたら、確実に1歩前進できる」
混乱して思考が迷走したり、本を引っ張り出してパラパラしたり、客観的に見るために紙に書いたり。
気持ちをやわらげるために、その横にかわいい絵を描いてごまかしてみたり。
一晩寝て、次の日考えをまとめて、ようやく冷静さを取り戻しました。
清濁併せ呑む
わたし、この言葉知りませんでした。国語力低いですね(^^;)
数日前、ダンナに聞いて意味を知りました。
清濁併せ呑むとは、善人でも悪人でも、来る者はすべて受け入れる度量の大きさを表すたとえ。
大海が清流も濁流も隔てなく受け入れることから、心の広い人のこと。
「清濁」とは、善と悪・善人と悪人・賢者と愚者などのたとえとしていう。
(引用 故事ことわざ辞典)
自分の中の「良い面・悪い面」を丸ごと受け入れる。
そして物事の捉え方も同じ。
考えてるけど考えない、やるけどやらない。選ぶけど選ばない。
対極にある2つの事柄のどちらがいいとも選ばず「両方OK」にできると、自分の器もより大きくなるんじゃないかと。
すき家のミニサイズの丼が、メガサイズの丼になるみたいな感じ。
これがサラッとできると、自分にも人にも優しくなれるんだろうなと思います。
まだまだ一方向で物事を見るところがあるので、この言葉どっかに書いて忘れないようにしようと思います。