子どもの頃、母親によく言われたこと。
「お前は根気がない」
「ジッとしてられない」
「飽きっぽい」
こんなふうに言われ続けてきたから、自分のこと根気がなくて
飽きっぽい性格だと思ってました。
小学生3年のとき
ジッとしていられるように、根気がつくようにと近所の習字教室へ行くことに。
習字はわりと好きだったので3年ほど続きました。
あれ?ちょっと待って。
根気がなくて飽きっぽかったら、3年も続くはずがない。
そもそもジッとしていられない子なら、習字なんてできない。
そう考えると、根気がないわけじゃない。
ジッとしていられないわけじゃない。
決して飽きっぽいわけじゃない。
ま、たしかに三日坊主でコツコツと地道なことは苦手な面もあるけれど
自分で選んだこと、好きなこと、興味を持ったものはわりと長続きしてます。
たとえばバイク。
25歳で免許を取って今も継続中、乗る回数は減ったけどまだまだ乗り続けるつもり。
職場での経理や事務。
机に座って地道にやらなきゃいけない作業がわりとあるけど、苦にはならない。
むかし母親が言ってたとおり、根気がなくてジッとしていられない子なら
バイクも地道な仕事も当然できません。
たぶん母親は自分の言うことをやらなかったら
「根気がない」「ジッとしていられない」「飽きっぽい」と言って自分の言うとおりにしない私を
じわ~っと遠まわしに責めていたんでしょうね。
そして「私はダメなヤツだ!」と思い込み、勝手に罪悪感を持つ。
そういえば、昔から「これやりたい!」って言ったことはことごとく反対されてました。
どーせ続かへんやろとか、モッタイないしやめときとか、前に似たようなことやったやんとか。
母親は自分の敷いたレール通りに私を動かしたかったんでしょうね。
子の可能性を伸ばすのが親の役割なのに、自分の思い通りに動く都合のいい家来を作ろうとしている。
あなたも思いあたることありませんか。
「私は何をやっても続かない」
「私にはなんの取り得もない」
「私には才能がない」
母親が望む(あるいは期待している)理想と、
あなたがやりたいこと(好きなこと)が食い違ってませんか。
決して才能がないわけでも、なんの取り得もないわけでもありません。
単に母親が押し付けた理想と自分を比べて「私はダメなやつ」と思い込んでるだけ。
この勘違いに気づいたら、もっと生き方を変えられるはず。
今47。
まだまだ自分の価値は上げられる。
アラフィー世代の悪あがきじゃなく、まだまだやれる。
今よりもうワンランク上の自分を目指して、今年残り半分過ごしていこうと思います。