スーパーでよく見かける光景。

「イヤ~、イヤ~、イヤ~、ギャァァァ~~☆*〇※▽@%#”・・・」

小さな子どもが顔を真っ赤にして泣きじゃくり、じだんだを踏んで必死で母親に何かを訴える。

先日こんな場面に遭遇しました。
しかも、広い店内はわりとガランとしていたので、子どもの甲高い声がひびく、ひびく。
一瞬、虐待?誘拐?なんて物騒なことを想像してしまいました。

こういうとき、いつも心の中がざわっと、もやっとするんです。

 

母親に対して・・・
『なんで〇〇ちゃんダメよ、って生易しい言葉をかけるだけなん?ピシっと怒らへんの?』

子どもに対して・・・
『なんでいつまでも泣き叫んでいられるの?あとで怒られへんの?こわくないの?』

 

自分の小さかったときと比べているんでしょうね。
だってそんなことをすると即座に母親のごっつい手が頬に飛んでくるんですから。
外で駄々をこねるなんて、とんでもない。

過去の経験と照らし合わせてギャップを感じるから、心の中がもやっと、ざわっとするんだと思います。

 

そうそう、小さい頃こんなことがありました。

私は1本ずつ包装されているポールウインナー(オレンジ色のビニールで包まれた細長いウインナー)が大好きでした。
母親とお肉屋さんへ行ったときのこと。

私はウインナーが欲しくて指さしました。
母親が手に取ったのは1本のウインナー。
私はそっちじゃなくて10本入りの方を指さして「こっち」と言ったとたん、、、

バシッ☆★☆

母親のごっつい手が耳元から頬にかけてスゴイ勢いで飛んできたんです。
あまりにも激しく張り飛ばされたもので、お肉屋さんはビックリ!

もしかしたらこれがきっかけで外で何も言わなくなったのかもしれません。
欲しいものを欲しいと言うと怒られる。
あとで激しく叱られるから怖い。

だから欲しいものを欲しいと言わず、自分には手に入らないもの、と思うようになりました。

あれ欲しいな・・・⇒私には手に入らない!⇒だから最初から望まない。

今は欲しいと思ったものは躊躇することなく「買おう!」と思えるようになりましたが、
(いつもじゃないけど。。。)
小さい子どもが外で駄々をこねている場面を見かけると心の中がざわっと、もやっとする。
こればっかりはなくなりませんね。

ざわっと、もやっとするのは甘く自由に育てられている今の子どもを見て、
横目で「ええなぁ」と、羨ましく感じているせいなのかも。

過去の経験とのギャップ。
子どもの頃、若い頃、大人になってから、、、
わりといろんな場面でこの「ざわっと、もやっと」は、顔を出しているような気がします。